先輩から後輩へ
長崎大学医学部附属病院 感染症内科(熱研内科)津守陽子

2002年・SLH研修
我々を乗せた飛行機がフィリピン上空にさしかかった。黒い森林、数多くの島々……すると、福岡空港に向かう列車で「狂犬病ウィルスの血清型が島によって異なる」といったことを仲間と話したことを思い出した。そしてこの島々に潜む多様な微生物のことを、そして彼らが動植物、土壌、水系などの様々な条件により、いかなる姿となって人体に表れるのかを考えたとき、尽きない興味と恐ろしさが混在した感覚に襲われた。ニノイアキノ空港が近づくにつれて畑や民家が増え、そして夕焼けの中にマニラ市が見えてきた。フィリピンは雨季であったためか、見下ろすと海岸沿いのひしめき合って立つ民家が浸水していた。
研修が始まったある日、雨が激しくあっという間に道路は洪水となった。そしてその水で洗髪をしている人がいた。「なるほど!」。サンラザロ病院で、つい先程受けたレクチャーの「レプトスピラ症は、雨季に多く、unemployedに多く、経皮的に感染することが多い」という内容がこの光景と一瞬にしてつながった。
日本での机上の勉強だけでは、雨季のどういった状況がこの感染症をもたらすのかは想像しがたい。この光景を自分の目で見て初めてレプトスピラ症に罹患しやすい状況が把握でき、予防策はどうあるべきかといった多次元的な洞察が可能となる。

なぜSLH での研修に応募したのか、と問われれば立派な理由があるわけでもなかった。ただ、医動物学、微生物学、細菌学の授業に魅かれる自分に気づいていたこと、昔インドに住んでいた頃、感染症にかかった人々が医療を受けられず、道端に横たわっている光景が記憶に残っていたことなどから熱帯感染症に気持ちが向いていたのだろう。
しかし将来進む道はまだ分からない。それはこれから始まる臨床実習、そして研修医としての修練を通して決まっていくのだろう。

医師になってから~2006年・SLH研修
以上が医学部5年の夏にSLH研修を行かせていただいた直後の、私の思いであった。
その後、目の前の臨床実習や国家試験に追われ、スーパーローテート一期生として故郷の病院で2年間あちこちの科を回った。様々な意味で熱帯感染症からは遠ざかっていた。しかし初期研修を終える直前「やはり熱帯感染症をやりたい」という漠然だが確固たる思いを持ってここに来ることに決めた。
そして2006 年夏、長崎大学熱帯医学研究所よりSLHでの研修に参加する機会を得た。学生の時は街の様子、日本の病院との相違点、患者の症状を見てただただ驚くばかりであった。しかし、3年目の医師として訪れた研修では、身体所見、臨床経過、使用薬剤など臨床そのものを勉強させていだき、医師として少しばかり熱帯感染症に近付けた喜びがあった。またつたない(あやしい?)タガログ語を操り、患者さんと直接接することもできた。

後輩へ
これから熱帯医学・熱帯感染症(基礎にしろ、臨床にしろ)を目指そうと考えている人、または漠然だが興味がある人へ。まず内科、外科などの研修を通して基礎的な臨床力をつけてください。
大学病院でアカデミックなことを掘り下げることも、一般病院でまず体を先に動かしてコモン・ディジーズを次から次へとこなすことも、どちらも熱帯への土台とでしょう。
例えば25年後の自分が、どこの国で、どのような立場(臨床家、基礎研究者、検疫官、WHO職員などなど)で貢献しているか、或はどのような場所・立場なら自分を生かせるかを想像してください。その上でそのために自分に何ができるかを考え、矛盾するようですが焦らずにとりあえず目の前にあることをこなしていってください。
健康に気をつけて。

2007年3月